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その1 / 恐怖症、社交恐怖、から全般性の社交不安障害(SAD)へ

社交不安障害(Social Anxiety Disorder、SAD)の 概念の成立と変遷

その1 / 恐怖症、社交恐怖、から全般性の社交不安障害(SAD)へ

 本稿で説明する社交不安障害(SAD)の概念の変遷、成立は、わずかこの四半世紀に限られます。その変遷と、はじめにで少し述べた通り、人の暮らし方の変化と密接に関連しております。そこを頭に入れながら読み進めて下さい。なお、本稿では社交不安障害(SAD)と社交恐怖(social phobia)の両方の名称を用いていますが、概念の説明上、不可欠だからです。これまでも述べてきたように、恐怖と不安では意味合いが異なるからです。

 Janet(1903)は、見られている前で話す、ピアノを弾く、字を書くことを恐れる症例を初めて社交恐怖として報告しました。しかし、上述のアメリカ精神医学会の診断基準では、DSM-I(1952)にはPsychoneurotic reactionsのPhobic reaction(恐怖反応)、DSM-II(1968)にはPhobic neurosis(恐怖神経症)の項目があるだけで、全ての恐怖症は一括りにされ、一緒くたでした。

 社交恐怖がその一括りのなかから独立できたのはMarksの功績によります。1966年にMarksらは139例の恐怖症の臨床特徴をまとめ、恐怖の対象が異なると男女比や発症年齢が異なることを報告しています。最も患者数が多いのは広場恐怖で60%を占め、その次に多かったのが18%の社交不安(social anxiety)でした。あとは特定の動物恐怖症、特定の状況恐怖症と続きました。また他の恐怖症の75~90%が女性であったのに対し、社交不安では女性の率が60%と最も女性の率が低かったです。発症年齢に関しても、動物恐怖症が4.4歳、社交不安が18.9歳、特定の状況恐怖症が22.7歳、広場恐怖が23.9歳と恐怖の対象によって発症年齢が異なりました。1970年にはMarksはモーズレイ病院を受診した恐怖症患者を第I群の自分の外の刺激に対する恐怖症と、第II群の自分の内部の刺激に対する恐怖症に分類し報告しています。患者数では同様に広場恐怖が60%を占めたのに対し、社交恐怖は8%と少数でした。社交恐怖の症状は「他の人々のいる前での食事、飲むこと、震えること、赤面すること、話すこと、書字すること、吐いてしまうことへの恐れ」としており、いわゆるスピーチ恐怖症など、公衆の面前でのパフォーマンスへの恐怖に限定していました。発症は社交恐怖が19歳と広場恐怖の24歳より若く、社交恐怖の女性の比率は半分で、広場恐怖の75%、動物恐怖の95%よりも低かったのです。

 この様に、モーズレイ病院を訪れる恐怖症患者はまだまだ過半数が広場恐怖でしたが、発症年齢や男女比から社交恐怖と広場恐怖をはじめとする他の恐怖症は違った病態であることが示されました。

 その結果、1980年改訂されたアメリカ精神医学会のDSM-IIIでは社交恐怖として、恐怖症から独立した項目になりました。このときには、まだ回避性パーソナリティ障害が除外規定に入っており、同時診断はできず、別のものとして扱われていました。その当時、Marksらは恐怖症の行動療法による治療を報告しています。数多くのパフォーマンスや状況が恐怖の対象では、行動療法は困難です。現在では全般性の社交不安障害(SAD)と分類される症例が除外され回避性パーソナリティ障害として扱われたのも頷けます。

 それが、Liebowitzらが1985年に「それまで行動療法家にしか知られていない不安障害」として「無視されてきた不安障害、社交恐怖」という総説を発表し状況は一変しました。ほとんどの社交場面を恐れる全般性の社交恐怖もそうでない社交恐怖と変わらないと報告したのである。この時のことについてLiebowitz自身は、パニック障害患者の中にパニックではなく人を恐れる患者がいることを見つけた、と述べています。その影響があって、1987年改訂のアメリカ精神医学会DSM-IIIRではほとんどの社交場面を恐れる全般性が社交恐怖に含まれるようになり、それと同時に回避性パーソナリティ障害の除外規定がなくなりました。この様な概念の広がりは、新しい治療法の登場と無関係ではありません。1985年当時はモノアミン酸化酵素阻害薬(現在、日本では市販されていません)しかありませんでしたが、全般性の社交恐怖にも有効でした。この薬の服用にはモノアミン禁止食という、長期間守ることが不可能な努力が患者に課せられました。その点、覚悟を有する限られた患者さんへの処方であったでしょうが、パーソナリティで治療対象外とされてきた症例が治療可能となったことは大きかったのです。その後の選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)の登場は、副作用の少なさ、飲みやすさの点で大きな福音であした。その結果、全般性の社交恐怖を対象に数々の二重盲検試験(医師にも分からないように患者さんが実薬と偽薬に割り当てられ、その効果を比較する方法です)が実施され、その有効性が報告されるようになりました。

 そして恐怖から不安へのパラダイムの変更が行われました。一般的には恐怖は対象が明確で急性な強いものであるのに対して、不安は対象が漠然としていて慢性のものです。社交全般に恐怖しているとした場合、現代社会では社交場面を恐怖し、必ず回避するのでは、家から完全に出られないことを意味します。そこで、「不安」程度の症例でないと受診するのは不可能ですし、そこまで重症になるまで放置することもおかしいのです。そこで1994年出版のアメリカ精神医学会診断基準DSM-IV改訂過程では、社交不安障害(SAD)と「恐怖」から「不安障害」への変更が検討されましたが、まだコンセンサスが得られていないと、括弧に囲まれて併記されるにとどまりました。「恐怖」という名称さえもが外されそうになったのです。また、DSM-IIIからDSM-IIIRへの改変にあたって、恐怖する対象を必ず回避することから、著しい苦痛または回避に基準がゆるめられました。全般性の社交恐怖を含めた以上、上述の通り妥当な変更です。

 2013年、アメリカ精神医学会の診断基準はDSM-5に改訂されましたが、その過程で全般性の亜型分類の是非、回避性パーソナリティ障害との異同について、これまでの研究結果が検討されました。全般性の社交不安障害(SAD)は限局性の社交不安障害(SAD)より発症が早く、臨床症状がより重症です。さらに回避性パーソナリティ障害とも重複し、併存していると、その傾向がより明確です。しかし、全般性か限局性かによって社交不安障害(SAD)の症候学的やその他の側面における明確な差異は認められませんでした。また、回避性パーソナリティ障害の併存も、社交不安障害(SAD)がより重症である1つの指標ではありましたが、区別が必要なものではありませんでした。その結果、全般性と限局性で一線を用いて明確な区別はできず、スペクトラム連続体でしかない、とされました。そもそも、DSM-IVの診断基準をいくら読んでも全般性の社交不安障害(SAD)の明確な定義が示されていません。研究では、一部の社交不安障害(SAD)専門家達の間で、ある特定の半構造化面接を使用し、その結果、いくつの症状を認めたときという具合に定義されており、限られた社交不安障害(SAD)専門家の研究者の間でコンセンサスがありますが、一般の精神科医に知られていません。反対に、国際比較的な症候学的な構造の因子分析結果などで安定している亜型は、パフォーマンス恐怖症の方でした。そこで、2013年のDSM-5では、パフォーマンス限局性(performance- only)を唯一の亜型とすることになりました。さらに、とうとう、社交不安障害(SAD)をメインにして、社交恐怖の方が括弧に入れられました。恐怖症から始まり、恐怖症に終わるような、何か振り出しに戻ったかのような印象もお持ちになるでしょうが、意味は全く別で、全般性の社交不安障害(SAD)がメインとなり、恐怖症の症状の方が端に追いやられてしまったのです。

その2 / あがり症-パフォーマンス恐怖症

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